元禄の茶壺曲目解説(3) Born to fly

詞・曲:好島王紫

2009年の元禄の茶壺活動再開に際し、好島が書いた新曲。

8月に横浜で行われた最初のライブ「発掘リハビリテーション」*1においては key=G で演奏されたが、以降は全音上げたAに変更されている。
この曲を書いた2009年は公私共に劇的な出来事が多く、精神的にも浮き沈み…と言うより沈みがちの日々が多い状況だった。
そんな精神状態から元気になりたい、という欲求が書かせてくれた曲だと思う。

その結果か、現時点で元禄の茶壺ライブで歌っている他のレパートリー、即ち10代終わり頃に書いた「背伸びした歌詞」の曲とは対照的な「青臭い歌詞」の曲になってしまった。
それでも今はこの曲を歌っている時やプレイバックを聞いている時は元気が出てくる。
もっと若いアーティストにカバーして貰えたら、聞いてくれる人にもより伝わるかも知れない。

1番の歌詞にある『窓』は例*2によって「B.G.氏」と、昨今の携帯依存っぽい行動様式への皮肉をメタファーにしたもの…と言うと小難しいが、要するにここで作者がイメージした『窓』とは某OSと携帯のディスプレイの事である。

*1 8/17、反町 "No Border" にて、好島+福島久雄(G)の2人編成。
*2 突貫工事の項参照のこと。

元禄の茶壺曲目解説(2) 突貫工事

曲:蔵臼麓真
詞:好島王紫

1982年3月に2人ユニットとして出演した池袋 "City" でのライブの為に書かれた作品。
蔵臼と好島による初めての共作でもある。
元禄の茶壺名でこの曲が演奏されたのはその時と1983年の最後のライブの2回だけで、この時は蔵臼がメインヴォーカルを担当した。
その後は蔵臼のバンド「世紀末應援団」の主要レパートリーの一曲として、様々なアレンジで演奏されていた。

この曲が書かれた当時はまだバブル経済以前、丁度オイルショックとの中間になるが、当時はまだかつてのフォークの名残りで貧乏な生活を描く詞にもそれほどの違和感は無かった。
その後のバブル期を挿んだ現在の日本は再び図らずも「貧乏の時代」を迎え、新たに 〜ワーキングプア Ver.〜 として元禄の茶壺復活ライブに加えた。

M.E. (ミレニアム・エディション)は2000年当時、話題に上っていた某ED治療薬を想定して歌詞を改変、なので曲中の『錠剤』は決して「違法なものと認識」はしていない。
ちなみに当時は海外在住中でもあり、ライブ活動自体も行っていなかったのでこのヴァージョン単体での演奏はされていない。
余談になるが M.E. というネーミングは1979年以来の林檎ユーザーでもある好島の、「アンチB.G.氏」としてのアイロニーでもある。

復活に際して〜ワーキングプア Ver.〜 では更なる貧乏の境地を目指し、オリジナルの『八畳一間』を『六畳一間』に改めた。

元禄の茶壺曲目解説(1) 柿の種

詞・曲:好島王紫

1980年頃、元禄の茶壺結成以前の作品。
元々はブルースとして書かれたが、1981年の「元禄の茶壺」ステージではロックバンド編成という事もありロックンロールアレンジで演奏された。
元禄の茶壺解散後も蔵臼のバンド「世紀末應援団」のレパートリーに一時加えられていた。

当時好島は日本の某アーティストの影響でブルースに興味を持ち始めていたが、
この曲を作るにあたっては某ブルースの大御所(黒人)のインタビューを見た際の
「生活を歌えばそれがブルースになる」と言った主旨の発言に影響を受けた記憶がある。
その文頭には実は「我々黒人が」という主語が省かれていたのだが…

現在ではまず見かけないが、昭和40年代の家庭では時々「缶入り柿の種」を見かける事があった。
大体の場合それはもう食べ終わった後の缶を「泉屋のクッキー」や「鳩サブレー」の缶の様に何かを入れておく保管箱として使い、食堂の食器棚や居間のタンスの上に載せられている状態のものだったが。
当時はご進物用としての「缶入り柿の種」も人気があったのだろう。
そしてかつての柿の種は現在よりも唐辛子の効いた辛いものだった様に思う。

2009年の〜増量ヴァージョン〜では
『150g入り』(缶入りの内容量としては若干不自然だろう)を『300g入り』に、
『駅前の駄菓子屋』を『横町の駄菓子屋』に
それぞれ歌詞を変更している。